ファルコンとはなんだったのか

2018年当時、私はアメリカに留学していた。いろいろと困難なことがあり、心が折れそうなことは何度もあったが、テクノロジーの進歩のおかげで、日本のエンタメに触れ続けることができ、そのおかげでなんとか生き延びていたところがある。

 

その中でもっとも大きな拠り所だったのが、アルコ&ピース D.C. GARAGEという深夜ラジオだ。

日本時間だと深夜0時から始まるのだけど、西海岸では朝っぱらなので、私はしっかりその時間に起きて、授業の前に大好きなラジオを聴く。

サマータイムでラジオの開始時間が変わるとか、授業で聴けないときはタイムフリーの恩恵にあやかるとか、日本で0時に聴くラジオとは、少しだけ違った。

そんなことを、短い9ヶ月の留学生活中、毎週していた。

 

6月に最後の学期が終わろうとしていて、もうすぐ日本に帰れるというとき、大好きなラジオは唐突に燃えた。

深夜ラジオなんて、一部のリスナーがパーソナリティとひっそり戯れている場所なのに、それがその場の空気感なしに乱雑にまとめられて、又聞きの又聞きのように知った外野に燃やされる、なんてことは、パーソナリティの先輩方もよくしていることだけど、まさか大した知名度もないアルピーがその対象になるとは思わなかったし、槍玉に挙げられた話題が、当時の私にとっては本当に予想外のことだった。

それは、「アベンジャーズからファルコンを脱退させよう」という企画であった。

TBSラジオのホームページに、来週はこんなことやるよ!と上げたものが、非リスナーに拾われて、こんなものはけしからんと延焼していったように思う。

 

ライブドアニュースへの取り上げられ方はこんな感じ。

記事に使われてる画像が古くてビジュアルイメージに齟齬が出ると困るので当時のビジュアルも見て。今はまた雰囲気違うんだけど、当時のビジュアルとてもいいので見てください。

左 平子さん でかい方、家族持ち満喫してる方

右 酒井さん やばい方、シングル満喫してる方

よくない?

 

当時の批判ツイートを掘り出す気力はないので、リスナー側からの偏った記憶で申し訳ないけれど、この炎上は何層かに分かれていて、一元的なものではなかった。

まず、「自分の好きなコンテンツにケチをつけている輩がいる」という事実に反射的に不愉快さを表明する人たち。

これに関しては、アルピーが売れない芸人であるという視点と、アベンジャーズが世界的コンテンツであるという視点が混じり合って、かなり高圧的で一方的なものも多かった。「マーベルに喧嘩売るなんて」とか鼻で笑ってる人もいた。このタイプの人たちがかなり多かったのだけど、これだけならほとんど問題はなかったと思う。タイプの異なる人間が、出会うはずもなかったのに出会わされてしまったときに起こる摩擦で、どうせこれからも交わらないんだから放っておけばよかった。

 

問題だったのは、「人種差別である」という批判だ。

このご時世、そんなことをやらかしてしまえば、一つの番組くらい簡単に終わってしまう。

この論調が広がっているとき、私は大好きな番組が終わってしまう恐怖に駆られて、問題の本質を知ろうと必死だった。

 

まず、なぜこの番組がこんな企画に至ったのかと言えば、アベンジャーズ履修済みのアルピーのでかい方こと平子さんが未履修のアルピーのやばい方こと酒井さんにアベンジャーズを布教し、見始めた酒井さんの初見の感想をみんなで聞く、という流れが数週間前に始まった。話が進むにつれ、酒井さんがファルコンの能力に疑問を持ち始める。

他のアベンジャーズに比べて地味だとか、飛んでるだけで大したことをしていないとか、そういう感じのいじりだ。何も急に脱退させる!とか言い始めたわけじゃなくて、数週間に渡り、シリーズを見た感想を語ることでじわじわとファルコンというキャラクターの印象を形成していったという過程があるため、キャラクターがそういう取り上げられ方をされるのが嫌だと言う人は、数週間前にとっくに切ることができているのだ。

あと、炎上後に無関係を装っている平子さんがこの流れを作ったのも分かる。

嫌なら見るな、と言いたいわけじゃないけれど、聴いてもないのに語るな、と思っていた。

 

具体的な時系列は以下の通り。公式の略称が分からないので、サブタイの頭文字をくっつけてある。

ちなみに当時の私はアベンジャーズ未履修だったので、これを機に全部見た。楽しかった。

 

アベンジャーズにファルコンは必要ない」というお笑いは、たしかにキャラクターやファンに失礼である。だからそういう視点で怒っている人には、ごめんなさい、しか言うことがない。

だけど人種差別って何? 

アルピーがファルコンに言及したところすべて聴き返したけど、一度も人種には触れられておらず、ファルコンを知らないリスナーは彼が黒人だと知ることもなく脱退まで進んでいく。

じゃあこれがホークアイいらなくね?なら良かったわけじゃん? 人種によって扱い方が変えられるってそれこそ差別じゃん、とアメリカにいながら思っていたわけである。

 

そのときに私が思い出したのは、ガキ使でエディーマーフィーの扮装をした浜ちゃんが、ブラックフェイスの歴史をなんだと思っているのだと怒られた件だ。

 

黒人差別ということを考えるとき、本当の解決はそんなもの意識することなく、なかったことにするのが正解なんじゃないの?

アイアンマンにならしてよくて、ファルコンにはしてはいけないことがあるなら、その現状だって差別の延長で、人種によって判断しているわけではない事柄にまで人種を持ち込んできている側こそが差別主義者なんじゃないの?

そんな人たちにポリコレで殴られて番組終わらせられたらたまったもんじゃないんですけど、とは書かなかったけど、それくらいは思っていた。

 

そのもやもやを綺麗に解消してくだっさったツイートがこちら。

 

「まだそれはしてはいけなかった」という表現が、とてもしっくり来た。

差別に無意識でいることの尊さは認めつつも、まだそういう段階ではない。

そして、ファルコンの人種に言及していないじゃないか、という反論は、ここにおいて成り立たない。ファルコンというキャラクターは、そもそも「そういう」キャラなのだ。

 

マイノリティの経験と、それを強いてきたマジョリティの歴史は、無意識であることを許さないほどに辛いものだということから、私は目を逸らしていたのだと思い当たった。

 

そういうことを咀嚼した上でもまだ私はこんなことを言っている。

深夜ラジオってさあ、メディアと言ってもさあ、みたいなことをぐだぐだ思い始めるである。

そんな中で深夜ラジオと社会の狭間にいるような荻上チキさんが炎上を受けて、ご自身のラジオ(Session-22、帯番組でアルピーdcgの前時間帯番組にも当たる)で話してくださったことが、そういうぐだぐだした気持ちも汲み取ってくれるように、

ディスコミュニケーションの問題」という視点についても取り上げてくれた。告知サイトは不用意であったし、踏んではいけないところを踏んでいるから、番組側の問題はもちろんあるが、ディスコミュニケーションもたしかにあったよね、というリスナーにも優しいチキさん。泣いた。

おぎやはぎ爆笑問題も、それぞれの手法や視点で触れてくれて、本当にありがたかったんだよなあ。

 

こういったことを経て、1週間後についにこの企画の放送日がやってくるんだけど、私はアメリカでの放送時間、朝から期末試験を受けていて、リアタイをすることができない、という地獄だった。番組側がどういう理解をして、どういう対応をするかは全然読めなくて、やり方次第ではもっともっとおおごとになり、許してもらえなくなって番組終了の流れが見えてめちゃくちゃ不安だった。

しかし単位が必要なので粛々とテストを受け、しかもそれが留学最後のクラスだったから、なんかクラスメイトとお別れとかして、先生にも最後の挨拶をした。

この授業というのが、留学生向けに開講されたアメリカの移民の歴史についてのもので、先生もアメリカの人種問題が専門。

そんな授業受けててその程度の認識だったんすかァ?と言われると、返す言葉もないのだけど、そこは一旦ご容赦いただいて、こんな機会だし、と先生に経緯を話してみることにした。

深夜ラジオ文化を知らない人とのディスコミュニケーションが起きるのに、日本語話者ではない人に英語で説明するのは結構難しかった。話しながらなんだこの企画、と何度も思った。ファルコンを脱退させよう!って何?

「やっぱり差別意識がなくても許されへんもんなん?」ということをメインに尋ねた。

私が、「歴史的に非道な差別があったのは分かるけど」と言おうとすると、それは「歴史」でも「過去」でもない、と彼女は強い口調で遮った。

 

私がここ1週間で見ていたのは、現在進行形の反差別で、それに対して私が置いていたのは過去形の差別だった。

だけど、今でも人種差別は世界中で起きていて、それを是正しようという動きが無力なほどに、その力は大きい、と彼女が始めたとき、ああ、私は何かを「知って」いても、何も「分かって」なんていなかったんだ、と頭がすーっと冷えていくのを感じた。

反差別の先頭を行くようなアメリカは、同時に差別の温床でもある。私はカリフォルニアの片田舎の大学で、外国人にもわりと理解のある環境でぬくぬくと留学生活をしているけれど、今だってこの世界では、それは起きているのだ。

 

あなたが差別主義者でないことは分かるし、日本人の認識はアメリカのものとは違うことも想像できる。

だけどあなたは、差別をしない、という、言い換えれば何もしないという選択ではなく、差別を許さないというパワーの一部になるべきだ、と彼女は言った。

 

この社会は無色透明ではなく、マジョリティによって付与された「意味」に溢れている。

あなたがこの問題で、その「意味」に無意識であることを「平等」だと思っているのならそれは違う。「無知」だ。

これはあなた個人の問題ではないが、あなたはその意味を知る必要がある。

その向こうにしか「平等」はない。

 

だから私たちは戦い続けないと。

 

大学からアパートまで自転車で帰り、荷造りをして、次の日の朝には空港に行った。

空港で飛行機を待つ間に、放送を聴いた。

ラジオを好きでよかった、と心の底から思った。笑いながら泣いていた。

この思いと、一連の批判は、両立しうると信じている。

 

東京に帰って、大学に戻ってからも、このことはずっと頭にあった。

私の主な関心であるジェンダーについて大学で学んでいうちに、ああ、これはジェンダーの問題にも当てはまるんだ、と思い当たる。正の方向に力を注ぎ続けないと、事態はあまりにもあっけなく悪い状態に戻る。だから私は、その正のパワーの一端であり続けなければいけない、と誰に説明されることもなく思っていた。

これは自分が「女」という性で、「意味」を付与された側だからこそ気付けただけで、当事者意識のない問題について、私はあまりにも無知であった、と急に腑に落ちたのだ。なんというか、身になった気がした。

 

先のR-1の野田クリスタルさんの決勝ネタ、女性のストッキングをハサミで破る、という表現に不快感を示す人に、そこに特に意味なんてない、過剰に反応する方がおかしい、という受け流しをする男性を見て、1年半前のこの一連の騒動を思い出したのだ。

日常の何気ない場面で性暴力の危機を感じ、自分の体があまりにも簡単に搾取される無力さに苛立ち、ストッキングなんて薄っぺらなものを破る、という行為に性的な意味を付与されてしまった性別に生まれた私には、その無関心が攻撃に見えた。

女性への性暴力が蔓延ることは知っているけど、それとこれとは別でしょ? ネタじゃん? という人は、知っていても分かっていないのだ。

私がしていたことってこういうことだったのか、と、1年半くらい経って急に腑に落ちた。

 

ただ、このストッキンング姉さんというゲームは、R-1に先立って、アルピーの深夜番組でも披露されていて、私は事前にそれを見ている。そのときには、もちろん好意的には受け止めていないが、社会的な問題としては捉えていなかった。

私は「メディア」を細分化して捉えていて、深夜ラジオや深夜番組といった、比較的少数の、かつそれを目的で集まってきている人に向けられた番組に、社会性を求めてはいないのでは、と思う。

たとえば、ゴールデンの特番で、「ファルコンいらないよね? 脱退させようぜ!」となったのなら、燃えて然るべきと思う。というか、そりゃ燃えるでしょ、という感じ。

たとえば、おぎやはぎのメガネびいきの恒例企画、ヤれそうな女性芸能人をランク付けする「妄想総選挙」がひっそりと存在することは、積極的に肯定せずとも否定はしない私と、2018年末の週刊誌の「ヤれる女子大生ランキング」は積極的に否定したい私の矛盾は、たしかに存在するのだ。場と、対象と、語られ方の、総合点でアウト判定をしているのであって、絶対的な基準がない。

 

この感覚は主観的にもやや問題を感じるが、現時点の感覚として残しておくとして、その上で、R-1では「ナシ」なのだ。R-1は社会的な場だし、ストッキングを切られる対象にあまりにもキャラクター性がないために、非アウトにもってく材料もない、と私が恣意的に判断しているため、あれは受け入れられなかった。しかし、そうではない人たちにとっては、「わざわざ見に来て文句つけるなよ」でしかいない、ということは私は身をもって知っている。

 

やたら冗長になったけれど、今残しておきたいことはこんなところだ。

もう少しアルピーdcgというラジオの文脈についても語りたかったけど、それを「社会的なこと」と綯い交ぜにしちゃうと、「個人的なこと」が侵害されてしまうような気がする。

アルピーのラジオに興味を持ってくれたら、アルビーannの「お茶会」「ホームアローン」なんかを聴いてほしい。あんなに最高だったann終了を経てのこの騒動だったから、また終わっちゃうかも、の恐怖がリアルだったんだよあ……。

 

SNSで赤の他人の「個人的なこと」が可視化されたときに、それをむやみに「社会的なこと」に変換して批判するのって、危険なのかもなあ、とこれらを通じて思うけど、でも個人的なところからしか、社会って変えていけないよね、とも思うのだ。

難しいよ、簡単になんていかない。

完璧に矛盾なく、正しいことを語るには、私には好きなものが多すぎるし、正しいことだけでは辛いときに生き延びられなかった。

 

だけど私にしか見えないものがあるし、それが私の世界だし、それだって何かの足しにはなるだろうと信じてる。

 

私は今現在、そういうところにいる、という話。

あー、このアメリカ最後の1週間、メンタルやばかったけど、めちゃくちゃ楽しかったし、これがなかったら、今の私はまた別の生き物だったんだろうなー。

 

 

ファルコンってなんだったんだろう。