もう音楽が時代を超える時代じゃないのかもしれないけれど、そんな時代でも音楽ってやつは。

 

 上京してから、音楽ライブに行くことは、観劇に並ぶ義務であるような気がしていた。楽しいことがあふれるこの街での限られた時間を、無駄にしないための言い訳のような行為。詳しいことは分からない。しかし、好きなアーティストはいる。彼氏も友達もいないし、バイトのシフトを出し忘れたので、大げさではなく、何一つ予定のなかった2016年末、大型音楽フェスに出かけた。

 

 このフェスというものについては私もよく分かっていないのだが、私の行ったものは、広大な会場の中に複数のステージがあり、常にどこかしらのステージで、バンドだったりシンガーだったりが30分とか1時間とかの持ち時間、パフォーマンスをするというイベントで、観客はどのアーティストを見るのも、途中入退場も自由。この会場の高揚感のようなものについても記録しておきたいが、ひとまず置いておいて。

 

 

 1228日。一人で出かけて、久しぶりのライブの熱気にあてられ、ほとんどの時間を数多ある売店を冷やかしたり、食事を取ったりして過ごしていた。たくさんのアーティストが出演しているが、ほとんどが数曲知ってはいるが、大好きというほどでもない、という程度だった。それでもこちらに楽しむモチベーションがあればなんの問題もないのだが、そんなものがあったら、こんなつまらない生活を送っていない。

 

 そんなやる気のない22歳の体の中に残された若さのようなものを、奮い立たせる音楽があった。なんとなく見に行こうと思ってはいたが、大型イベントの風物詩、女子トイレの行列につかまり、ステージの外から聴いた。音楽性がどうとか、最早関係ないないのだと思う。きっと、体が一番元気だった頃の記憶は、脳の中で一番元気なのだ。勝手にこの曲を聴いていた頃の細胞が引っ張り出されて飛び跳ねるような感覚。

 

 自身の最大のヒット作を歌ったあと、ボーカルの男性が「この曲は10年前の曲だ」とおもむろに言った。会場にいたおそらく私と同年代の男女が、は?と信じられないような反応を見せる。嘘だろう、とそんな一体感も、確かに音楽がくれるものだろう。

 

 彼が熱い言葉を放つ。自分の目指す音楽を語る。その中身は、どうでもよかった。ただ私が胸を打たれたのは、10年経って、まさかこの人に会えたということ。別に大ファンだったわけじゃない。好きだったらライブに行けばよかった。でも違う。お、〇〇いるじゃん、くらいの興味でふらりと彼に出会えたということ。アルバムが1枚だけ、私の何台か前の携帯に入っていた。今のiPhoneには1曲も入っていないけれど。ヒットした数曲だけじゃない、そのアルバムの中の、全然有名じゃない曲でも、意外といいじゃん、と、思春期の日々になんとなく聴いていた、あれを作った人たちと、ふいに会えたということが、奇跡のように思えた。何を考えてるのか、どうやって音楽に向き合って、ここまで来たのか、それを直接聞けた。それが、とんでもないことのように思えた。

 

 もう一つ、さらなる衝撃をもたらしたバンドがいた。それこそ今から10年前、小学校高学年くらいから中学生まで、狂ったように聴いていたバンド。今ほど周りの音楽の趣味が細分化されておらず、クラス全員が知っている音楽というのが、ギリギリ残っていたときの話だ。CDの貸し借りとか、この歌詞がどうだ、とか、仲がいいわけでもない友人との共通項に成りえた、今考えると、“前時代的”な音楽の在り方。

  それがホールに流れると、一気にみんな歌いだす。かつての教室をそのまま持ってきたような雰囲気に、鳥肌が立った。この広い会場に、もう会うこともないかつてのクラスメイトがいても、何もおかしくなかった。

 

  直接見たことも、ましてや話しているところだってほとんど見たことがなかった。なんとなく、HEY HEY HEYとかに出てたことは覚えてる。ボーカルが3人いて、でも彼らの印象は、歌声と見た目だけで、だけど不思議なもので、誰が好みだとかいう話題は盛り上がった。そんな彼らが、ほんとに歌ってるところを、10年越しに見る。なんと不思議なことか。うわ、しゃべってる。実在したんだ。わ、変な動きしてる! 変わってない! 不思議なもので、「変わってない」と思った。見たこともなかったくせに。

 

 

 今、大好きなアーティストがいる。10年前も、存在くらいは知ってたけど、こんなに好きになるとは思わなかったアーティスト。彼が、恐らく、直接会うこともなく、音楽だけで長く付き合ってきたファンと自分の関係を「『声』だけの幼なじみ」と表現していた。

  ああ、それだ、と思った。親しい友達なわけじゃない。ずっと近況を報告しあってきたわけじゃない。ただ、10年前、一時期仲良く遊んでもらってた。最近どうしてるかなんて、こちらから知ろうとしなかったけど、元気にしてるって知ると嬉しくて、あの頃教えてくれた歌を一緒に歌うと、今抱えてるいろんなものから解放されて。自由になれる気がした。

 

 

 ソニーWALKMANのキャッチコピー「10代で口ずさんだ歌を、人は一生、口ずさむ」の意味を、初めて体感できた気がした。将来口ずさみ続ける歌との出会いを、一通り終えたということに、焦りのようなものを、感じないわけじゃない。でも、その蓄積を、私は人並みに出来てたんじゃないかな、となんとなく思うのだ。

 音楽ファンと言えるほど詳しくないけど、人生を共にする音楽には、ちゃんと出会い、一緒に遊んで、あと60年くらい、あらゆるシチュエーションで口ずさめるくらいの質と量の幼馴染を、持っていると、根拠もないが思える。

 

 きっとまた、どこかでふいに彼らと対峙したりして、「元気でやってた? こっちは元気だったよ」と言うんだろう。素敵じゃないか、そんな人生。

 

 日々が新しい出会いばかりではなくなった。少しずつ、再会が増えていく。これが、年を重ねるということなのだろう。

 まだまだ慣れないのだ。未知との遭遇は、飽きるほどしてきた。それへの備えのようなものも、身に着けてきた気がする。だけど、再び出会うこと、それもきっと、新しく出会うこととはまた違う、美しさを孕んでいるのだと、確信できた。

 

 ありがとう、またどこかで、会いましょう。